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「構想」第六号 2004.3.23


雪崩

川鍋元寇(ペンネーム)


 真っ暗だった。闇だった。何も分からなかった。自分の手も見えなかった。隣で寝ているはずの三人も見えなかった。そしてひどく窮屈だった。
 ・・・体が動かない。
「おいっ!」
 声を出してみる。右隣で寝ていた佐藤に声をかけたつもりだったが、その声は小さな空間で響きそして吸い込まれた。声を出そうと口を開けた時に雪が口の中に入ったことで、顔中雪にまみれていることを知った。
 何が起こったのだろう?
 自分に問いかける。昨夜までのことを思い返した。


 上野は都内の大学の山岳部員であった。近年の体育会加入者の減少で、部員は少なかった。上野自身、山に興味があって入部したわけではない。当時の先輩に強く勧められて、何となく入部し、何となく三年生になっていた。徐々に夏山、春山、雪山にのめり込んでいく実感があった。三年になる頃には後輩を指導する立場にいた。自分が意識して築いた立場ではない。気がつくとそういう環境にあった。
 同学年には佐藤という友人がいた。自分と違い佐藤は非常に積極的な男だった。何事にも前向きであり、自信家でもあった。常に自分のやることに自負があるような奴だったし、それだけの仕事をこなす男だった。思えば自分は佐藤がいたから山岳部に在籍し続けることができたのかもしれない。今回の合宿もリーダーは佐藤だった。『俺たちなら大丈夫だって!』出発前に佐藤はいつもの自信溢れる顔で言った。
 第二学年に、酒井という後輩ができた。酒井はひどく不器用な奴だった。二つ以上のことを同時にこなすことはできず、集中力の散漫な男だった。しかしその分、人一倍体の大きな奴だった。山でも多くの荷を持った。『頭にも栄養をやれよっ!』佐藤がよく笑いながら酒井に言っていた。『あ、あ、す、すみません!』慌てて頭をぺこぺこ下げる酒井はどこか憎めない奴であった。
 第一学年に藤本という新入部員がいた。秋口から途中入部してきた奴で、器用に物事をこなした。自分が器用なことは自覚しているようで、それが顔にあらわれた。不器用な酒井が下級生である藤本を意識していることは明白であった。しかし、藤本はその反面生活的にはだらしない男だった。遅刻や忘れ物は多かった。それで困らせられることは多かったが、それ以外はそつなくこなすため黙認される形になっていた。


 この四人で冬の立山連峰に入ったのだ。春と違い、室堂までバスは出ていない。4月からは、数メートルある雪に壁を通って多くの観光客で賑わう室堂も、冬は雪に閉ざされた極限の地であった。室堂に上がるまで数日かかった。室堂から剱御前にのぼり、尾根づたいに剱岳を目指す予定であった。その途中で天候の悪化のため雪洞を掘り、停滞していたのである。冬の北アルプスは晴れることはまずない。吹雪くことが前提で、その強弱で移動できるかが決まる。素人から見れば歩けるような天候でなくとも、リーダーが動けると判断したらそれは移動日であった。そうでなくては登頂できないのが冬山であった。
 その雪洞の中で吹雪が弱まるのを待って二日目の晩、少量の缶詰と紅茶を飲んで寝た。雪洞は思った以上に快適であった。雪洞内はほぼ0度に保たれ、入り口を閉め切っているうちは温かくさえ感じられた。定期的に入り口を塞ぐ雪を取り払うのが面倒であるが、それは酒井の仕事だった。寝始めてしばらくして、酒井が雪をどけるために雪洞を出たのはうっすら記憶にある。が、その後の記憶はない。


 気がつくと暗闇にいた。絶対の静寂の中、冷静さを取り戻した頭で考えてみる。答えは一つだけだった。そしてそれは絶望的な一つでもあった。
「雪崩か・・・・。」
 雪崩によって生き埋めになったと推測した。いや、間違いないだろう。本来、移動中に雪崩に見舞われ、生き埋めになった場合、空間が確保されることはない。雪崩の衝撃で即死か、仮に即死は免れても、上も下も分からないまま窒息死する。雪崩で死んだ登山者の死体は口の中にまで雪が詰まっているという。しかし、今回は運良く雪洞の中にいたため、雪洞は崩れたものの僅かな空間を確保することができたようであった。
 ところが、並んで寝ていたはずの佐藤、酒井、藤本はいなかった。雪洞が崩れた時に流されたのか。それとも近くに自分と同じく生き埋めになっているのか。今の上野には見当もつかない。自分のように空間が確保されるケースは稀であることを考えると、生きている保証はないように感じられた。
 上野はまず、状況を把握することに努めた。食糧や道具はないか。自分はどのような体勢にあるのか、この暗闇の空間はどれくらいの広さがあるのか。両腕は動かせた。足は埋まっているらしい。空間の天井は数十センチ先にあるようだ。空間の横幅は意外と広い。一メートル近くあるだろうか。どうやら、ほぼ寝ていた時に近い体勢で埋められたらしい。体も埋まっていたが、自由な手で少し掘り出すと動くことができた。縦に起きあがることはできないので、横向きのままくの字にまがり、埋まったままの足を掘り出した。足は深く埋まっていて、苦労した。
 雪崩れたあとの雪は急速に固まる。漫画のようにサクサクと掘ることができればよいのだが、そんなことは不可能であった。ましてや、手だけで掘ることは『掘る』というよりもむしろ『削る』作業に近かった。足が動かせるようになった頃には手袋の中の指先の感覚はなくなっていた。食糧はなかった。ポケットにライターがあるのを知っていたが酸素が無くなるので点けることは自殺行為であった。

 狭い空間だった。自分の居る場所が、未知なる暗闇から、限られた雪に閉ざされた空間だということに気づいたことで、急に恐怖感が芽生えた。高さ数十センチ、横幅一メートル弱、縦幅は身長より少し狭く、僅かにくの字に折り曲がったままその空間におさまった。雪面が徐々に、けれども確実に体温を奪ってゆく。冷静さを取り戻せば取り戻すほど、その絶望的状況と空間に恐怖せざるを得なかった。


「なぜ、このような事態に陥ったのか?」
 上野は考える。この雪洞を掘った斜面は安全だったのか?なぜここに掘った?吹雪がひどかったから?いや、それだけではない。藤本の体調が崩れ、これ以上動くことができなかったからだ。藤本がいなければ、もっと安全な斜面が探せたはずである。剱御前の稜線に立った後、藤本が体調不良を訴えた。リーダーの佐藤は剣沢の斜面に降りて雪洞を掘ることを決めた。冬山で低体温症に陥った場合、それは命に関わる。なんとしても迅速に動く必要があった。高山の場合、肺水腫の怖れもあった。
 秋口から入部した藤本は冬山や高山の経験が不足していた。今回の合宿も難易度だけでいえば、無理があったと言っても良い。雪上を歩く藤本の足取りはひどく不安定なものであった。後から見ながら上野は何度も不安に駆られた。未熟な歩き方は体力の浪費につながる。体力の低下は低体温症を招く。その結果、ここで停滞する羽目になったのだ。
「くそっ!藤本か。」
 窮屈な空間で上野はにやついた藤本の姿を思い浮かべ舌を鳴らした。しかし、その藤本ももう居ない。生死も定かではない。これ以上考えても仕方がないことであった。上野は違うことを考えることにした。

 雪はすっかり引き締まっていた。手だけでは容易には掘れない。しかし少しずつでも削るしかなかった。横に掘ればよいのかと考えたが、自分が斜面のどの方向を向いて転がっているのか定かでない以上、外とは逆の方向に掘り進む可能性があった。確実なのは上に掘り進むことであった。しかし。上に掘り進む場合、今の体勢はひどく窮屈であった。
「体の向きを変えよう。」
 上野はまず、下に掘り進み、徐々に足をその穴にずらし、体の向きを変えることにした。掘った雪を今足のある空間にやり、その分足の入る空間を下に作る。空間自体は限られたものであるから、掘った雪は違う空間に移動させる必要があったのである。狭い空間での作業は過酷なものであった。


 時計はなかったので時間は分からないが、削っては寝て、起きては削った。どうやら空気は僅かに入ってきているらしい。見えるような穴ではなく、雪の結晶の間に貯まった空気かもしれなかった。それでも上野は窒息をおそれ常に小さく呼吸をした。体感時間として一日ほどたったであろうか。体勢はほぼ変えることができた。横穴の空間から縦穴の空間になっていた。その分、横の空間は狭くなっている。くの字で横になっていた体勢から、縦に中腰でいられる体勢になっていた。足を動かすと何かに当たった。固い。窮屈な空間でかがんで手に取るとそれはヘッドライトであった。
「助かった・・・・!」
 もちろん、事態が進展するわけではない。しかし、丸一日暗闇に居た上野にとって、光は「救い」そのものであった。すぐさまライトのスイッチを押す。その瞬間暗闇は白そのものに変わる。雪は光を反射するため僅かな光で雪洞全体が強烈に浮かび上がった。
「うっ!!!」
 視界に入ってきた白い空間の眩しさに上野は咄嗟にスイッチを切る。今後のことを考えると一、二時間しかもたないライトは温存しておきたかった。現在の空間を上野は十分把握していた。もう一度ライトを点ける必要性は感じなかった。一瞬の眩しさの後暗闇に戻った空間には光の余韻が蠢いている。その中で上野はまた考えはじめる。


「佐藤に落ち度はなかったか?」
 藤本を原因としていた上野はまた、この状況に陥った過程について考えはじめた。藤本の経験不足は最初から分かっていたことであった。それを知った上で山行を計画したのはリーダーである佐藤であった。当初、上野は藤本の参加に反対であった。夏山と違い冬山では経験が物を言う。根本的に夏山と冬山は別個のものと考えてもよいと上野は考えていた。しかし、佐藤は違った。佐藤は藤本と昔の自分を似ていると常々話していた。器用にものをこなす。その様子は何かしら確信めいたものであった。その点で佐藤と藤本は似ていると言えた。佐藤はその藤本を今回の合宿に参加させることに何も危機感を感じてはいなかった。そのことで度々上野と佐藤は対立していたのだが、性格の差からか、佐藤が強引に押し切る形になってしまった。上野はこの三年間そうやって佐藤とやってきたし、これまでも問題はなかった。上野はいつも佐藤に付き従う形になった。上野自身、そのことに不満はなかった。しかし、今考えるとあの当時感じていた藤本を連れて行くことへの不安は、何か本能的なものであり、こうなることを予感してのものであるかのような気さえした。その予感を否定した佐藤にこの責任はあるように感じられたのである。
「あいつっ!」
 暗闇の中に佐藤があらわれる。いつも通り自信に溢れた笑顔で答える。
『大丈夫だって。何とかなるさ。』
 何が大丈夫なのか。この状況を脱することか?それとも、藤本を連れて行くことに対してか?しかし暗闇の中の佐藤は答えることなく、消えた。上野はため息をつき、考えるのを止めた。


 指の感覚は既に無かった。指先が痛むこともない事態に困惑したが、雪山ではよくあることであるし、雪を削るのには好都合であった。道具のような指。無事に出ることがあって使い物にならないかもしれないな、と上野は澄んだ頭で考えた。
 削り、削り、削り。削った雪は足下に落ち、足でそれを踏んでならした。削った雪が顔にかかったが、もう気にすることもなかった。口に入った雪はそのまま飲み込んだ。削り、削り、削り。
 二日ほど経っただろうか。もしかしたら数時間かもしれない。二、三回寝た覚えがあるので数時間ということはないだろう。自問しながら削り続けた。しかし、いっこうに外は見えない。聞こえない。どれくらい掘り進んだのだろう。数センチのような気もするし、一メートル以上のような気もする。ひどく疲れた。心身共に衰弱していくのが分かった。


 防風着のポケットにはライター、地図、ペン、ライト、替えの手袋が入っていた。どれも常にポケットに入れているものであるが、昼間の山行中ならウエストポーチに非常食なども携帯していることを考えると、ウエストポーチを外して寝たことが悔やまれる。
 考えたくないことではあったが、上野は死というものが目前に迫っていることを感じていた。掘り進んでいる間はそれを忘れることができた。何も考えなくていい作業であった。しかし、手が止まった途端、その恐怖が体全体を締めつけるように迫ってくる。怖かった。泣き出したかった。しかし、それはできなかった。泣くという行為はそれ自体が死に近づく自分を肯定していることのように思われたからである。恐怖を噛みしめ、上野はポケットから地図とペンと取り出した。そして、二日ぶりにライトを点ける。

『セツドウ クズレウマル ホルガソトミエズ マダ イキテイル』

 地図の裏に記した。指先の感覚はないため赤ん坊が箸を持つようにして書いた。そのため直線の多い片仮名でしか文字は書けなかった。遺書めいたものは書きたくなかった。死を前提に考えることは避けたかった。『イキテイル』という文字が今の自分の存在を確かなものにしてくれる気がした。それをじっと見つめながら、僅かに覚醒した頭で上野はまたメンバーのことを考えはじめた。


「酒井も死んだのか・・・?」
 不器用ながら、いつも自分を慕ってくれた酒井のことを考える。その時、雪崩のあった晩、酒井は雪かきに一旦外に出ていたことも思い出した。もしあの時に雪面の異常に気がついていたら?斜面に積もった新雪の状態を酒井がよく観察し、自分たちに報告していたら?もしかしたらこの危機を回避できたかもしれない・・・。上野は考える。酒井にそのような機転がきくはずのないことは分かっているのだが考える。
「酒井が外に出ている間に雪崩が起こったとしたら?」
 外に出た酒井が雪を払っている途中に雪崩が起きたということも可能性としては考えられる。その瞬間、酒井はその危険を叫んだかもしれない。自分以外の者はその声に気がついて外に脱出したのかもしれない。だから自分の周りにはメンバーは埋まっていなかったのか?推測が推測を呼び、それは妄想となる。しかし、もし自分以外の三人が助かっていたとしたら、自分を掘り出すために何らかの活動をするはずである。しかし、そのような気配はなかった。やはり三人とも死んだのか?それとも助ける余裕もなく撤退したのか?助けを呼びに行ったのか?今なお捜索中なのか?様々な憶測が頭を駆け巡るものの、どれも確信できるものではなかった。ただ、外に出ていた可能性のある酒井という存在が、頭に残った。
「もしもあいつが生きていたら・・・。」
 そう思うと、万に一つであろうが、救助の可能性を見出すことができた。しかしそれは本当にゼロに近いものであることは無意識的に理解していたが、敢えてそう考えるのは止めた。生きる可能性の妥当性よりも、その可能性にすがることを選んだ。ライトを消すと、『イキテイル』という文字も闇の中に落ちていった。


 どれくらいの時が経過したのか。それすら考えることなく、上野は雪面を削った。顔に落ちてくる雪の粒がほとんど感じられないことから、指先は雪を削る力も無くし、撫でているだけだと思われた。それでも雪面をさするこの生きるための本能が恨めしかった。
「もう駄目なのかな。」
 久しぶりに声を発した。声を出すことでまだ生きていることを認識することができた。とっくに自分は死んだものだと心のどこかで考えていた。
「その方がどんなに楽だろう。」
 不思議と恐怖は無かった。共に山を登ってきた仲間が自分の近くに埋まっていると思うと心が落ち着いた。奇妙ではあるが、死を迎え入れる状況に対して、安堵すら感じていた。
「もう足掻く必要もない・・・。」
 思い出したように上野はおもむろにライトを取り出し点けた。地図とペンを持ち、書き付けた。

『ハハ ゴメン』

 書きたいことは多くあるもののそれを記すほどの気力も指先もなかった。もう指先は自分の一部とは言えなかった。両親への謝罪の気持ちをその五文字に込めた。遺書くらいもっと手の込んだものを書きたかったがそれは不可能であった。それが悔しかった。
「父さん、母さん・・・。」
 声に出すと、堰を切ったように両親への想いが溢れ出す。純粋に会いたいという気持ち、もう会えないという悲しみ、先立つ申し訳なさ、死に対する恐怖・・・。上野はこれまでの静寂が嘘のように胸からこみ上げる感情を抑えることができなかった。叫びたかった。泣き叫びたかった。暴れ回りたかった。しかし、その狭い空間ではそれすらも許されなかった。体全体が雪面に接する、中腰の窮屈な空間では、上を向いたまま僅かに喉を鳴らし歯を食いしばることしかできなかった。
「・・・あ、ぁぁ・・・っ。」
 外から暗闇が迫る。死が迫る。内から熱い悲しみが沸き上がる。それに挟まれるようにして、上野は如何ともしがたい恐怖という激情に襲われる。

『コワイ コワイ コワイ コワイ』
『シニタクナイ』
『タスケテ タスケテ』

 必死に書き殴る。しかしそれだけ書くと地図の裏は一杯になった。それでもその上に書き続ける。

『タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ・・・・・・・・・』

 地図の裏は真っ黒になる。それでもまだ書き続ける。そうでもしないと気が狂いそうであった。やがて電池が切れライトの明かりが消えた。暗闇の中、なおも上野は続ける。
 上野は山が好きだった。これは嘘ではない。しかし山で死にたくはなかった。様々な遭難例を見るたびに佐藤に話した。
『山で死ぬのは不幸なことだ。俺はやっぱり温かな布団の中で死にたいね』
 しかし、今の自分は雪の中で太陽の光を見ることもなく、中腰で立ったままの体勢で死に直面している。身動きすらとれない。その状況は上野を絶望させるのに十分なものであった。絶望は正気を狂気に変え、狂気は死を受け入れさせた。上野はポケットからライターを取り出すと、地図に火を付けた。地図は目の前で燃え、勢いよく灰へと変わってゆく。上野は自身の全てを悔いた。山岳部に入部したことも、この合宿に参加したことも、そしてそれに関わる全ての人を憎んだ。その炎を見る上野の目は狂人のそれであった。やがて炎は消えまた闇が訪れ、上野はその闇に沈んだ。


 春になって、ようやく捜索が開始された。冬の間は捜索は不可能であった。天候の安定する春まで待つ必要があったのである。雪崩の直後、奇跡的に助かった佐藤が無線で連絡を入れていた。雪洞が崩れ、流されたものの地上近くにまで浮上したのは全くの偶然であった。佐藤は必死に辺りを捜索したものの、声を吹雪にかき消され、スコップもない佐藤では自力で掘り出すことも不可能であった。上野と藤本の遺体は春の捜索後しばらくして発見された。雪崩による窒息死と判断された。酒井の遺体は雪崩によりかなり流されたらしく、発見されることはなかった。


 夏になると、上野の遺族が慰霊登山に訪れた。それに佐藤も参加した。あの冬、四人が目指した剱岳を望み、上野の母親が尋ねた。
「あの子は何を思って死んだのでしょう・・・?」
 佐藤はその横で答える。
「雪崩は一瞬で人の命を奪います。何も感じなかったと思います・・・・。けれど・・・。」
「けれど、上野は山を愛していましたから・・・。」
 母親は涙ぐみながら、しかし遠く北アルプスの澄んだ空を凛と見据えて続ける。
「そう、ならあの子は幸せだったのかもしれないわね。」
 佐藤はうつむき、間を置いて口を開く。
「・・・・はい、おそらくそうだと思います。上野はそういう男でしたから。」
 壮大な岩稜を有し、そびえ立つ夏の剱岳には雲がかかり始めていた。

 

 

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